柔道の歴史 嘉納治五郎の生涯1
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酒どころで有名な神戸の灘で、中心的酒造家という裕福な環境に生まれた嘉納治五郎。利発な少年で秀才の誉れ高かったが、体格に恵まれないひ弱な身体を鍛えたいと、柔術を学ぶことを決心した。世は文明開化、古臭い武道など廃れていく運命にあった時代に、古来から伝わる天神真楊流や起倒流を修業し、自らの工夫も加えて柔術から柔道へと進化させていく。修業に加わった富田常次郎とともに研究苦心を重ね、明治15年5月永昌寺において、遂に講道館が誕生した!明治維新により滅びていくかと思われた古流柔術の中から、世界に雄飛する柔道を生み出した男の激闘を見よ。 -
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産声を上げたばかりの講道館に、後に姿三四郎のモデルとなった天才・西郷四郎が入門する。しかしまだ入門者から金を徴収するどころの騒ぎではなかった。嘉納はいかに弟子を得るかに苦しみ、道場の確保にも苦しんだ。しかしそんな嘉納に、起倒流の飯久保は免許皆伝を与え、伝書も託す。そしてこの頃、初めて道場に講道館の看板が掲げられた。後に講道館四天王と謳われる俊英たちが、続々と入門してくる。ある日他流派の道場開きに講道館から出席した富田常次郎は、模範稽古をみた警視庁の柔術家・中村半助に手合わせを申し込まれた。警視庁最強の巨漢に、富田が柔道の真骨頂を見せる! -
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講道館は麹町富士見町時代に入る。血のにじむような稽古と技の研究に明け暮れていた道場生に、明治19年嘉納から警視庁武術大会への参加が発表される。柔道が初めて、天下衆目の前で柔術と戦うときが来たのだ!この大会で柔術を制した講道館柔道は、揺るぎなき地位を確立する。嘉納は講道館・嘉納塾を率いる一方、学習院教頭という公務においても教育者としての情熱を傾けた。明治22年には、教育事情調査のため1年以上に渡って、ヨーロッパ各地を外遊する。その嘉納の帰りを待たず、あの不世出の天才・西郷四郎がひっそりと講道館を去ってしまうという事件はあったが、講道館はますます隆盛を迎えるのであった。 -
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講道館紅白試合で5人抜きを達成した広瀬武夫は、ロシア留学中に芽生えた恋を日露戦争のために妨げられ、戦死を遂げてしまう。しかし講道館にも次代を担う新しいヒーローたちが誕生していった。京都武徳会の主任教授となった磯貝、講道館幹部の一人となる永岡、そして後に10段に上り詰める三船久蔵も、講道館の門を叩く。明治、大正、昭和にかけて、嘉納を始め山下、富田などの門下高弟たちの大きな苦労によって、柔道は海外にも普及して行った。また嘉納は教育界の要職にあって幾多の人材を育てる。なお国際オリンピック委員として、オリンピックの発展に寄与し、戦争のため幻に終わった第12回オリンピック東京招致に成功した。 -
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発展の一途をたどる講道館。明治42年頃には、入門者数も1万人を超すまでになった。大正15年に、女子柔道部が正式に発足する。昭和に移ると、御大礼記念天覧武道大会、皇太子殿下ご誕生奉祝天覧武道大会など、後世に名を留める柔道大会が次々と行われていった。中でも特筆すべきは、昭和5年初めての全日本柔道選手権大会が、明治神宮外苑の特設会場で開催されたことである。国内はもとより、教育視察、柔道の普及活動、国際オリンピック会議出席など、数ヶ月に渡る外遊を毎年のようにこなして行った嘉納だった。しかしこの超人にも遂に終焉のときが訪れる。第12回オリンピックの東京招致に成功し、カイロから帰国する途中、氷川丸船内で体調を崩し、日本に帰り着くことなく逝去した。 -
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最終巻。嘉納亡き後も、発展を続けていく柔道界。その軌跡を振り返る。女子柔道では最初の有段者・乗富政子、嘉納の恩師福田八乃助の娘・福田敬子が嚆矢となり、戦後は天才・山口香を輩出した。また初期の柔道普及の大きな担い手となり、今なお隆盛を誇るのが、学生柔道と警察柔道である。第2次大戦後国際化を進めた柔道は、国際柔道連盟の発足、世界柔道選手権大会の開催、そしてオリンピックの正式種目に加えられるなど、柔道はまさに世界の柔道として花開いた。今なお山下泰裕など強豪を生み出し続けている。
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